鼻くそポイ捨て機の映画日記

映画見ておもったこと。ネタバレします。

みた

ヒットマンズボディーガード見た!

 

定番の正反対の二人がひょんなことからバディを組むって話なんだけど、二人のキャラがすごく立っているから定番の設定なのにすごくひきこまれた。

マイケルはねちねちねちねちねちマジでしつこくて納豆よりねちっこいし女々しいし頭でっかちで(ちゃんとトリプルAとしての実績はあるけど)他人への情より自分の感情を優先させてしまうガキっぽいボディーガード。対してキンケイドはさっぱりしてて決断力も潔さもあり猪突猛進、妻への愛は人一倍で情に厚く自分よりも大切な人を優先するヒットマン

 

二人がバディを組む上で、全く違う性格なのにどこでわかりあえるんだろう、って所が凄く気になった。マイケルからキンケイドにできたことと言えば命を守る手助けをしたぐらいか。キンケイドからマイケルには生き方というか、人生のありようとしてこういうのもあるというのを教えたような気がする。マイケルがそれをできるかといえば話は別。

 

アクションがマジでドンパチでめちゃくちゃ気持ちいい!笑いが出るぐらい。たまにうわ〜ってなるところとかあるけど全然いける。二人は死なないんだろうなという謎の信頼感と安定感があるからアクションシーンもすっごくおもしろく見れました。 

 

キンケイドの言葉にはすごく考えさせられた。「悪人を守るやつと悪人を殺すやつだとどっちが悪人?」みたいなセリフなんだけど、確かに悪人を守れば悪人はこれからもどんどん力をつけていくし、それにより苦しむ人間もどんどん増える。悪人を殺せば苦しむ人間はそれ以上は増えない。結論と犠牲の数だけにフォーカスして言えば【悪人を殺す人間のほうが世界平和に貢献している】

我々の前提として「人を殺してはならない」がある。人道的な前提。もはや道徳の授業でも習わないほど当たり前のところにあって、それを破れば逮捕されそれなりの刑を受ける。でも、人は本当に人を殺してはいけないんだろうか。まずはそこから我々は考えなければならないと思う。

チンパンジーは仲間を殺す。人間とチンパンジーはほんの少ししか遺伝子は変わらないのに、なぜチンパンジーは仲間を殺して良くて、人間は仲間を殺してはならないのだろう。

チンパンジーたちは野生に生きている、というのは人間側から見た理由であって、チンパンジー側を納得させる理由になりえない。チンパンジーチンパンジーで人間と同じように群れをなしてその中で繁殖し子育てし生きているのだ。人間は社会という群れを作り、その中で繁殖し子育てし生きている。社会と野生という相違はあれども、同じ行為をしている。

ではなぜ人間は仲間殺しがタブーとされ、チンパンジーではタブーではないのか。法の有無である。では法は誰が決めたか?昔の王様が決めた。では昔の王様は人殺しをしなかったか?自分に害を及ぼす人間は命令して殺させた。ではなぜ王様は人殺しを行って良くて平民は法によって禁ぜられているのか?「殺人」が王にだけの「特別権」でなければならないからである。

 

殺しが王にだけの特別権でなければ、平民は争い殺し合いのし上がり新たなリーダーを見つけてしまい、王の座が脅かされる。この世は弱肉強食。王の特別権は強の者が現れるのをとめるストッパーの役割である。

チンパンジーでは強い者がリーダーとなる。強い者を超える更に強い者が現れれば今度はそいつがリーダーとなる。それは強い群れを作る上で大切なことだし、これからを生き抜く上で必要なことである。

人間には思考と欲が備わっている。王の権力は独占したい、誰にも渡したくない、自分だけが一番でいたい。そのために用意されたのが法。自分が一番であるための、法。だから特別権が必要なのである。お前と私は違うのだぞと言うことが必要なのである。それの一つが「殺人」である。

 

昔の王様の時代から今まで何千年と経ってきた。これにより我々には殺人はいけないことだとしっかりとインプットされてしまった。だから「悪人を殺すやつと悪人を守るやつどっちが悪人だ?」と聞かれたときに、「悪人を殺すやつが悪人!」と反射的に答える人が絶対にいる。その後の被害やら何やら考えられない想像力の足りない人間、というわけではなく、ただただ小学校のとき道徳の成績がすこぶる良かった人間である。

人を殺すこと自体が悪だ(これは我々の人道的な前提である)。でも自らの欲のため何かを隠すため人を殺す人はあとをたたない。じゃあその人たちは誰がどうする?

 

キンケイドは自分の情と正義に基づいて行動している。キンケイドにとって「殺す」ことは「悪いこと」ではない。悪いことという認識はあるのだろう。が、しかしその前提を守る道義はないと考えているようである。

無実の人は殺さない。

それが彼のルール。体にもタトゥーとして初めて人を殺した日の風景を刻み込んでいることから彼が最初から今までそのスタンスを崩していないということがわかる。

キンケイドが100%善人か?と言われたらそうではない。しかし70%ぐらいは善人だと思う。自分の信念を持って自分の命を賭けて行動している。脳みそを全停止させて「ヒトヲコロシテハイケナイノデスネ、リョウカイ」などと言っているヒトモドキロボットよりも何十倍も何百倍も人間味がある。

 

確かに殺生はよくない。しかし、なぜそれがいけないのかということを考えないままにそれがいけないなんていうことも言っちゃいけない。ヒトモドキロボットとして生きるぐらいなら足掻いて這って苦しんででも思考し思考し思考し続け人として生きていきたいと思う。映画の感想からはだいぶ遠いところまできてしまった。

 

キンケイドが妻のこと大好きなところ好きだったな〜、すごく良い。チューリップ私も好き。