鼻くそポイ捨て機の映画日記

映画見ておもったこと。ネタバレします。

みた

労働に完全に疲弊し、摩耗し、映画すら見れないようになっていた。どんどん仕事に割り切り方を見つけて、私生活と分けて考えられるようになった。そうしてやっと「好きだった君へ P.S.まだ好きです」を見たのである。

好きだった君へのラブレターは随分と前に見た。1年前ぐらい。

好きだった君へのラブレターはものすごくキラキラしていて、恋愛!青春!って感じがして大好きだった。

 

正直いって第一作目のほうが好きだった。第二作目はジョンアンブローズがかわいそうで、どうも痛すぎて見られなかった。中学生のころ淡い恋心を抱いていた女の子から”今”連絡がきて、ときめかない男子がいるのであれば教えてほしい。そして思いもよらない場所で運命の再開。そんなのまた恋に落ちるに決まっている。

ララ・ジーンはジョン・アンブローズの心を弄べるだけ弄んでピーターとの愛を確かめ合ったのである。キスまでしておいて!ジョン・アンブローズは優しい男だと思う。一度目、ララ・ジーンがピーターとの関係を明かさないままにジョン・アンブローズと過ごしたこと。裏切られたような気持がしただろうに、ジョンは優しく受け入れてくれて、許してくれた。二度目。キスまでした。それなのに、ララ・ジーンは自分が被害者みたいな顔をして逃げた。それで、ピーターの所へ戻った。

傷つけるだけ傷つけたジョン・アンブローズには何もなしで、ジェンと仲直りして、自分にだけいいようにしておしまい。それは人生としては正しい形なのだろうと思う。人生はそうだ。自分だけよかったらいいのだ。みんなそう思っている。思っていなかったとしても無意識にそういう選択をしている。自分が、自分の周りがよくなるように。自分の人生がより良くなるように。そのためには他のどうでもいい人たちはどうでもいいのだ。ララ・ジーンはまたボランティアで老人ホームへ行く。そうしたらまたジョン・アンブローズに会う。何事もなかったかのように笑って、それで何事もなかったかのように人生を進めていく。そのたびにジョン・アンブローズはひどく傷つくんだろう。考えるだけで胸が痛い。

自分以外の人の人生をここまで考えること自体間違っているんだろうか。ジョン・アンブローズにとっては思春期の一瞬のことで、大人になったら「思春期の思いでで」として片づけられるのだろう。でもそうなるまでどれだけ傷つくのかな。

映画を見るのは第一作目まででやめておけばよかったな。

みた

永遠に僕のものを見た。

まだ公開中の映画なので4,5行ほど自分の話をする。

 

私は早く死にたい。老いたくないのではない。自分が生というエネルギーに満ちている間に死に向かいたい。でないと、死をただ待つだけの存在になってしまうようで怖い。死は誰しもに平等に訪れるが、待つだけの価値が死にはあるのだろうか?わからない。私はまだ生きているから。

つまらない人生は送りたくない。そうは思いつつも、私の人生は今現在、進行形でつまらない。職場と家の往復、疲れ切って眠ってしまう日も多い。朝は早く起きて勉強をして、そしてまた仕事へ。つまらない。つまらないのである。こうやって生のエネルギーを消費している。いいのだろうか?わからない。が、いいはずはない。だが現状を打開する策すらない。

 

 

永遠に僕のものを一言で表すのであれば、【愛】であろう。

なぜこの副題をつけたのか?と思ったが、最後まで見ればよくわかった。

 

主人公のカルロスは天才だ。天才の犯罪者。泥棒することだって当たり前、人を殺すことに罪悪感すら感じていないのであろう。自分の感情と衝動のままにものを盗み、人を殺した。

なぜ犯罪がいけないことなのかすら考えてない様子の彼は、まさに純粋無垢という言葉がピッタリであった。

 

カルロスはラモンに一目惚れしたのであろう。タバコの煙をかけるシーンではゾクゾクとした。色気が半端なさ過ぎて。ラモンにはその気はなかったのだろうから、一瞬にして殴られてはいたが殴られた姿も美しかった。

ラモンはカルロスを利用した。彼の好意だってわかっていたはずだ。「あいつは俺の言う事なら聞く」と言っているぐらいだから。分かっていてあんなに自由だったのか。酷い男だな。

 

マリリンモンローみたいだと言われたときの笑顔が脳裏に焼き付いている。純粋で美しい微笑み。あんな笑顔を浮かべた後で、宝石店の宝石を根こそぎ奪うのだから、たまったものではない。

 

ラモンが商売相手に自分の体を売り(売ったのか?)、名声を身に着けようとした段階でカルロスの態度が変わっていった。目には明らかに嫉妬の炎が燃えていた。身分証明書だって、たとえ罠だとわかっていても届けに行っていただろう。もしもラモンが他になびこうとしていなければの話だが。

そもそも、罠だと思う理由がどこにあったのだろう。警察官がいたから?警察署にいるのは当たり前だろう。ラモンを懲らしめたかったのではないだろうか。自分を捨てようとした彼を、自分から捨ててやろうと思ったのではないか。 

 

結局それは叶わなかったが。

元女房だと呼ばれ、他の相棒を見つけてこられ、カルロスの気持ちはズタズタだったであろう。もう自分のものではないのだと。だから殺した。永遠に自分のものにするために。

心中する間際、唇に触れるシーンが美しかった。自分を捨てようとした彼を、心の底から愛しているのだと、純粋な愛の形を突きつけられたような気がした。

 

カルロスが捕まって、逃げて、逃げた先で立ち寄ったのはラモンの家だった。そこがもう、もう、だめだ、だめだった。ラモンのベッドで眠って、最後の思い出のつもりだったのか。

どうなるかわかって母親に電話をしたのだろう。殺されるか、再度捕まるか。捕まれば死刑か、終身刑か。

流れる涙は誰を思っているのか。これからの自分の行く末だろうか、それとも自分が殺した愛おしい人か。

最後を自分が心の底から愛した人の住処を選んだ姿が痛々しくも、純粋で、愛おしくて、どうしようもなかった。

 

ここまで純粋に、突き抜けた愛を見せつけられてただひたすらに圧倒された。

美しくエロティックで言葉を失った。

純粋な愛がひとたび歪むとこうなるのか。彼としては純粋な愛の形のままではあるが、我らは法律という名の元の色眼鏡で彼を見ているから、彼の愛が歪んで見える。ここまで純粋で暴力的な愛がこの世にあっていいのか。

 

 

とにかくカルロスがどエロい。美少年。エロすぎる。最高だった。引き締まってない体、青年と少年の間の体。美しい。赤いパンツが映える。最高だった。

みた

Girlをみた。まだ公開中の映画だったので4,5行ほど職場の食堂の話を書いていた。下書きに眠らせている間に公開が終わってしまったので食堂の話は無駄になったがそのまま載せておく。

 

 

私は職場の食堂でご飯を食べている。食堂ではシチューにご飯、味噌汁というとんでもメニューがある。ちなみに味噌サバといったメニューの日はパンとご飯が選べるようになっている。シチューの日はご飯固定なのに。私には食堂のルールもメニューの意味するところも何もわからない。わからないが、それなりに食べている。

私が一番びっくりしたのはみんなバンバン野菜を残すということだ。たしかにうちの食堂の野菜はおいしくない。なんていうか、パサパサして、賞味期限間近のコンビニのスライスサラダって感じ。だけどみんなこんなに残すのか…衝撃的である。

 

 

Girlを見た。

トランスジェンダーの女性(体は男性)であるララがバレリーナを目指して世界屈指のバレエスクールに通う、という話である。

 

まずララは家族にトランスジェンダーであることを完全に受け入れられている。誰もララを男性として扱わない。ララを女性として扱い、ララの体を女にすべく思春期から医療機関に通っている。

 

私はトランスジェンダーの人が体を心の性に近づけることを治療と呼ぶことを好まない。それだと、どうしても体の性と心の性が離れていることが異常という感じがして違和感を覚える。本人からすればそれは異常なのだろう。自分の心は女なのについているものは男のちんこだったら混乱だってする。が、治療とはまた別だと思う。

彼・彼女らの体はそれぞれが生まれ持ってきたものである。心の性と違っていて、憎むべき対象であったとしても。治療というよりも、理想の自分に近づく過程である。努力だとか、そういう言葉のほうが正しい気がするのだ。

 

また、トランスジェンダーの人を体の性に合わせて紹介することも好きではない。体はあくまでも付属品である。だから、どうとでもいじくり回せる。それこそ整形するなりホルモンを入れるなり思うがままになんだってできるのだ。しかし心はそうはいかない。心はいくら外から誰かが矯正しようとしても無理である。ただただ、思いが抑圧されるだけだ。では性別は心に、変えられないもの、自分がそうであると思うものに合わせるべきではないのか?と思う。

だからこそ家族がララを女性として扱っていることが嬉しかった(嬉しいと思う時点で、これが当たり前ではない現実があることが悲しい)。

だけれども、スクールの女子は彼女を女子としては扱っていなかった。表面上はそう扱っているように見えても、彼女へ向けられていたのは奇異の目であったのだと終盤の女子会のシーンでわかって苦しかった。

 

家族の対応とスクールの女子の対応での対比で胸がざわついた。

体が男だと知らない人のところへ転がり込んで、体の関係を持とうとする。だけれども、その人はララの胸や性器に触れようとした。女子だけれども、女子ではない。体に触れられたら悟られてしまう。

好きだけどセックスはできない。

それがどれだけ彼女の心を傷つけたのだろうか。

 

すべてを思い悩んで、悩んで悩んで悩んで、結局ああいう行動に出たということが何よりもびっくりした。

早く女になりたいという気持ちがそうさせたのである。焦る気持ちを誰が植え付けたのか?

スクールの女子でもあり、同じアパートの好きな男でもあり、ララでもある。

 

自分の体を傷つけることがどれだけ勇気のいることなのだろうか。もしかしたら出血多量で命を失うかもしれない、痛みのショックで気絶してしまうかもしれない、そこからいろいろと感染してしまうかもしれない、彼女の願う手術ができなくなるかもしれない。

様々なリスクがあった。それでも行動に移した。体が男であるという事実が、どれだけ彼女を追い詰めたのか。それを思うと胸が苦しかった。

 

ラストシーンでの清々しいまでに切った髪。彼女が新しい場所にたったということなのだろう。体がどうなったかはわからない。バレエも続けていくのか、恋はどうなったのか、なんにも分からないが、彼女は一つ大きくなった。それが分かる最後であった。

ラストシーンの笑顔が目に焼き付いている。美しかった。何もかも諦めたわけではなく、受け入れてふっきれたような、そんな笑顔。

どうかララのこれからの人生が良いものでありますように。そう願わざるを得ないラストであった。

みた

スイスアーミーマンをついに見た。上映当時からずっと気になってた映画だから見れて嬉しい!

 

無人島に漂流した(なぜ漂流したのかはわからない)主人公が、同じく漂流してきた一体の死体と生きるためにもがく話。

 

主人公(ハンク)は臆病である。めちゃくちゃ臆病。人との関わりが苦手。特に恋愛が苦手。苦手すぎて好きな女のことをバスで盗撮して待受にしたりインスタグラムをこっそり見続けるぐらい。ばりストーカーやんけ。

親父との仲もそこまでよろしくない。毎年誕生日に電話し合うぐらいの関係。それも最終的には電子グリーティングカードに落ち着くぐらいの関係。

人との関わりが苦手だけど、死体との関わりはできた。なぜか?死体は生きていないから。

メニー(死体)も「僕にはひどいことができたのに」的なことを言っていた。確かにハンクはメニーに対しての扱いが雑だった。メニーがおなら(腐敗ガス)ばっかり出すからケツにコルクをしたり水を吐かせるために腹をぐいぐい押したり、火を出させたりボウガンとして使ってみたり、酷いことも言っていた。それはメニーが死体だから。

もし生きた人としてメニーが漂着してきたらハンクはどうなっただろう?関係を拒絶したんじゃないのか。そうすればきっと生きて帰ることはできなかったかもしれない。

 

メニーは前述したとおり何でもできる。

ウォーターサーバーにもなれるし(見た目はちょっとあれだが)、死後硬直した腕を振りかざせば斧のようにもなる。指をバチンとすれば火も起きる。口にものを突っ込んで腹を押すとロケットのように入れたものが飛び出す。

ハンクがメニーを人として扱うにつれて、メニーは命を巻き戻すかのようにできることが増えていく。ハンクがメニーと共に過ごし、ダンスをし、ウォッカを飲ませたりするうちにメニーは話せるようになる、笑うようになる、泣くようになる、動けるようになる。

 

主人公はメニーとの関わりの中で"人に対する関わり方"を覚えたんじゃないかと思う。

メニーは何でも口にする。思ったことをつらつらと。それが時に主人公を傷つけるときもあるし、救うときもある。

人との関わりとは傷つきながら救われながら築いていくものだろうが、ハンクはそれを拒絶していた。傷つきたくないから近づかない。それはもう、究極の選択だ。 

 

ラストでは自分が傷つくことも構わずに、自分を見守る人たちの前で屁をする。あんなに人前で屁はするもんじゃないと言ってたのに。メニーの前でも見せたことのない屁。逆に言えばメニーにも屁をするところを見せたことがないということは、ハンクがそれ程にメニーを人として扱っていたということが分かる。たかが屁、されど屁である。

しかしラストでハンクが屁をこくのは見守ってくれるみんなを人として扱っていないということが言いたいわけではない。屁をすることで自分が傷ついたり恥ずかしかったりすることを厭わなくなった、ということなのではないかと言いたい。ハンクの成長が屁で見えているのではないかと。

 

ハンクは不器用だ。ハンクの父親も不器用だ。自分の息子が死んだと聞くと(実際は死んでない)涙を流したり、息子が死体を抱えて森へ走っていけばご老体にムチを打ってあの険しい森を追いかけたり、息子に対する愛情はあったのだ。でもそれを表現できない。

ハンクは父親が自分のために涙を流すところを見て何を思ったのか。

 

メニーはまた海へとかえっていく。それが"帰る"なのか"還る"なのかは分からない。

メニーの正体もさっぱり分からない。でもそれがいい。全てがわかってしまうことほどつまらないことはないから。

 

下品で、笑えて、テンポも音楽も良くて、ほんのり泣けるいい映画だった。映画館で見ればよかったな。

みた

恋妻家宮本を見た。

 

ドンパチ洋画ばっかり見てたもんだから邦画ってひさしぶりでタブレットから日本語が流れてくるところでちょっと笑ってしまった。

 

遂に子が巣立ち、穏やかに穏やかに過ぎゆくように見えた夫婦生活が、たった一枚の離婚届を夫が見つけたことでぐるぐると加速していく話。

 

離婚届を見つけてからの旦那の動きはすごく不自然で、そりゃ妻からしたらバレバレやろうと思った。それがおもしろかった。

浮気を疑ったり家出かとそわそわしたり、その中でだんだん自分の気持ちに気づいて、優柔不断で頼りない宮本陽平から、妻を愛する(もとから愛していたのだと思うが、きっちりと自覚をもって)宮本陽平に変わっていくところが良かった。

 

今までお互いにおかあさん、おとうさんと呼び合ってたのを急に名前呼びに変えたり一緒にお酒を飲んでみたり、今までしてこなかったことをしようとしたのは妻の寂しさからか。

子が巣立ったことで「自分の存在意義とは?自分は誰かに必要とされているのだろうか」という疑問を抱き、それをぐるぐると考えながら抱え込んでいたがそれを何も言わず、夫も夫で必要なことは何も口に出さなかったからこんなドタバタ劇があったのだと思う。

でもこのドタバタ劇は夫婦にとって必要だったんだな〜とラストを見て思った。すごくいいラスト。ほっこりする。

 

ファミレスを中心に話は進んていくけれど、最初は相手にかっちり選ばせていたのを最後はシェアすると言う形で二人で選択した。

これからも一緒に決断していく、ってきっちりと断言していた。きっとリフォームも二人で話し合って決めるだろうし、妥協点も二人で見つける。陽平は優柔不断で何度も迷うだろうが、それをみよこが受け止めて支えて一緒に進んでいくんだろう。

二人は言葉が足りずにいたけれど、これからはきっときちんと言葉に出して、そして陽平はずっとみよこに恋をし続けるんだろうな〜。あ〜いい、すごくいい。こういうお互いを認めあった上で成り立っている関係いいな〜。

 

正しさよりも優しさが大事という言葉に感動した。確かに正しさは大事である。がしかしそれは時に刃になる。正しさで人を傷つけてしまう。人に向けるのは優しさを。

優しさと正しさを両立させるには、自分の中の正しいを明確にしなきゃいけないなと思った。間違った優しさもまた人を傷つけるから。

最初陽平は自分の中の優しさを明確にしないままドンに向かっていこうとした。だからお互いにずれあって遠慮しあって何も解決しなかった。陽平がみよことの関係を見直すにつれ、どんどん優しさを明確化していって、自分の一本芯を持ったことで優しさが通じた。

自分の優しさを通すとき、自分の芯も同時に持たなきゃならない。豆腐なんかぶつけられても相手は困るだけ。

 

恋妻家宮本めちゃくちゃよかったな〜。こんなにほっこりする映画を他にも見てみたい。

みた

ヒットマンズボディーガード見た!

 

定番の正反対の二人がひょんなことからバディを組むって話なんだけど、二人のキャラがすごく立っているから定番の設定なのにすごくひきこまれた。

マイケルはねちねちねちねちねちマジでしつこくて納豆よりねちっこいし女々しいし頭でっかちで(ちゃんとトリプルAとしての実績はあるけど)他人への情より自分の感情を優先させてしまうガキっぽいボディーガード。対してキンケイドはさっぱりしてて決断力も潔さもあり猪突猛進、妻への愛は人一倍で情に厚く自分よりも大切な人を優先するヒットマン

 

二人がバディを組む上で、全く違う性格なのにどこでわかりあえるんだろう、って所が凄く気になった。マイケルからキンケイドにできたことと言えば命を守る手助けをしたぐらいか。キンケイドからマイケルには生き方というか、人生のありようとしてこういうのもあるというのを教えたような気がする。マイケルがそれをできるかといえば話は別。

 

アクションがマジでドンパチでめちゃくちゃ気持ちいい!笑いが出るぐらい。たまにうわ〜ってなるところとかあるけど全然いける。二人は死なないんだろうなという謎の信頼感と安定感があるからアクションシーンもすっごくおもしろく見れました。 

 

キンケイドの言葉にはすごく考えさせられた。「悪人を守るやつと悪人を殺すやつだとどっちが悪人?」みたいなセリフなんだけど、確かに悪人を守れば悪人はこれからもどんどん力をつけていくし、それにより苦しむ人間もどんどん増える。悪人を殺せば苦しむ人間はそれ以上は増えない。結論と犠牲の数だけにフォーカスして言えば【悪人を殺す人間のほうが世界平和に貢献している】

我々の前提として「人を殺してはならない」がある。人道的な前提。もはや道徳の授業でも習わないほど当たり前のところにあって、それを破れば逮捕されそれなりの刑を受ける。でも、人は本当に人を殺してはいけないんだろうか。まずはそこから我々は考えなければならないと思う。

チンパンジーは仲間を殺す。人間とチンパンジーはほんの少ししか遺伝子は変わらないのに、なぜチンパンジーは仲間を殺して良くて、人間は仲間を殺してはならないのだろう。

チンパンジーたちは野生に生きている、というのは人間側から見た理由であって、チンパンジー側を納得させる理由になりえない。チンパンジーチンパンジーで人間と同じように群れをなしてその中で繁殖し子育てし生きているのだ。人間は社会という群れを作り、その中で繁殖し子育てし生きている。社会と野生という相違はあれども、同じ行為をしている。

ではなぜ人間は仲間殺しがタブーとされ、チンパンジーではタブーではないのか。法の有無である。では法は誰が決めたか?昔の王様が決めた。では昔の王様は人殺しをしなかったか?自分に害を及ぼす人間は命令して殺させた。ではなぜ王様は人殺しを行って良くて平民は法によって禁ぜられているのか?「殺人」が王にだけの「特別権」でなければならないからである。

 

殺しが王にだけの特別権でなければ、平民は争い殺し合いのし上がり新たなリーダーを見つけてしまい、王の座が脅かされる。この世は弱肉強食。王の特別権は強の者が現れるのをとめるストッパーの役割である。

チンパンジーでは強い者がリーダーとなる。強い者を超える更に強い者が現れれば今度はそいつがリーダーとなる。それは強い群れを作る上で大切なことだし、これからを生き抜く上で必要なことである。

人間には思考と欲が備わっている。王の権力は独占したい、誰にも渡したくない、自分だけが一番でいたい。そのために用意されたのが法。自分が一番であるための、法。だから特別権が必要なのである。お前と私は違うのだぞと言うことが必要なのである。それの一つが「殺人」である。

 

昔の王様の時代から今まで何千年と経ってきた。これにより我々には殺人はいけないことだとしっかりとインプットされてしまった。だから「悪人を殺すやつと悪人を守るやつどっちが悪人だ?」と聞かれたときに、「悪人を殺すやつが悪人!」と反射的に答える人が絶対にいる。その後の被害やら何やら考えられない想像力の足りない人間、というわけではなく、ただただ小学校のとき道徳の成績がすこぶる良かった人間である。

人を殺すこと自体が悪だ(これは我々の人道的な前提である)。でも自らの欲のため何かを隠すため人を殺す人はあとをたたない。じゃあその人たちは誰がどうする?

 

キンケイドは自分の情と正義に基づいて行動している。キンケイドにとって「殺す」ことは「悪いこと」ではない。悪いことという認識はあるのだろう。が、しかしその前提を守る道義はないと考えているようである。

無実の人は殺さない。

それが彼のルール。体にもタトゥーとして初めて人を殺した日の風景を刻み込んでいることから彼が最初から今までそのスタンスを崩していないということがわかる。

キンケイドが100%善人か?と言われたらそうではない。しかし70%ぐらいは善人だと思う。自分の信念を持って自分の命を賭けて行動している。脳みそを全停止させて「ヒトヲコロシテハイケナイノデスネ、リョウカイ」などと言っているヒトモドキロボットよりも何十倍も何百倍も人間味がある。

 

確かに殺生はよくない。しかし、なぜそれがいけないのかということを考えないままにそれがいけないなんていうことも言っちゃいけない。ヒトモドキロボットとして生きるぐらいなら足掻いて這って苦しんででも思考し思考し思考し続け人として生きていきたいと思う。映画の感想からはだいぶ遠いところまできてしまった。

 

キンケイドが妻のこと大好きなところ好きだったな〜、すごく良い。チューリップ私も好き。

 

みた

ナイスガイズ見た。

妻も家もなくした冴えない?売れない?無能?私立探偵とようわからん強いおっさんがどでかい事件に巻き込まれていく話だった。
まじであのおっさん何者?最初は殴り屋みたいな感じで出てきてたけど結局最後まで何がしたいのかわからなかった。いい人になりたかったのかな?

娘にイライラしっぱなしだった。いや危ないのわかるやろ!!普通に考えて!!!ってところに平気で来たり、かと思えば人質にされたり。パパのお手伝いをしたいのか邪魔になりたいのか分からん。運がええだけで一歩間違えたら殺されとるんやぞ。なんでわからんと首突っ込んでくるかな〜。
おっさんに殺したらダメ!!みたいなこと言うシーンのために「純真さ」をアピールしたかったのだろうか?それにしてはスレたような表現が多い。だからこそイラッとしたんだろうな。それならそれで、もう少し純真のように描いてほしかった。それでもイライラするけど。
結局アナンダは殺されてるし。あの女もバカだ。大馬鹿。母親が黒幕だから誰も信じられないのはわかるけど、情報もないまま手当たり次第に助けを求めるからこういうことになる。
あと友だちもバカ。いや、電話あるやん。銃突きつけられて手上げてるねんから電話できるやろ。なんで体当たりでいくん?無駄話することしかできひんのか?それとも逃げようとしたのか?逃げるなら逃げるでまた別のところに逃げろよ。なんで犯人にタックルする?
女が全員バカだった。女のバカさを全面に出したような感じ。
ポルノパーティ?みたいなところでも女は見世物として扱われてるしオブジェにもなってて、なんていうか、モノ扱い?バカな女、っていう演出が多かった。監督の思考か、本作品をこう作ったのか、年代による女性へのフィルターなのかは謎だが。

アクションはガンガンバンバン!って感じ。強いやつはハチャメチャ強い。主人公は弱い。おっさんは強い。主人公は体だけめちゃくちゃ強い。あと運が良い。

最初の伏線が回収されていくのは気持ちよかった。物語の途中にもちょろちょろと伏線は張ってあって、それが全部一つに集まる感じ。あ〜、だからか、と納得できる。そこは凄くおもしろかった。

見てる途中は派手だから楽しめるが、印象に残るかといえばそうでもない。あっさり流し見するのにちょうどいいかな、ぐらい。ギャグはおもしろかった。