鼻くそポイ捨て機の映画日記

映画見ておもったこと。ネタバレします。

みた

スイスアーミーマンをついに見た。上映当時からずっと気になってた映画だから見れて嬉しい!

 

無人島に漂流した(なぜ漂流したのかはわからない)主人公が、同じく漂流してきた一体の死体と生きるためにもがく話。

 

主人公(ハンク)は臆病である。めちゃくちゃ臆病。人との関わりが苦手。特に恋愛が苦手。苦手すぎて好きな女のことをバスで盗撮して待受にしたりインスタグラムをこっそり見続けるぐらい。ばりストーカーやんけ。

親父との仲もそこまでよろしくない。毎年誕生日に電話し合うぐらいの関係。それも最終的には電子グリーティングカードに落ち着くぐらいの関係。

人との関わりが苦手だけど、死体との関わりはできた。なぜか?死体は生きていないから。

メニー(死体)も「僕にはひどいことができたのに」的なことを言っていた。確かにハンクはメニーに対しての扱いが雑だった。メニーがおなら(腐敗ガス)ばっかり出すからケツにコルクをしたり水を吐かせるために腹をぐいぐい押したり、火を出させたりボウガンとして使ってみたり、酷いことも言っていた。それはメニーが死体だから。

もし生きた人としてメニーが漂着してきたらハンクはどうなっただろう?関係を拒絶したんじゃないのか。そうすればきっと生きて帰ることはできなかったかもしれない。

 

メニーは前述したとおり何でもできる。

ウォーターサーバーにもなれるし(見た目はちょっとあれだが)、死後硬直した腕を振りかざせば斧のようにもなる。指をバチンとすれば火も起きる。口にものを突っ込んで腹を押すとロケットのように入れたものが飛び出す。

ハンクがメニーを人として扱うにつれて、メニーは命を巻き戻すかのようにできることが増えていく。ハンクがメニーと共に過ごし、ダンスをし、ウォッカを飲ませたりするうちにメニーは話せるようになる、笑うようになる、泣くようになる、動けるようになる。

 

主人公はメニーとの関わりの中で"人に対する関わり方"を覚えたんじゃないかと思う。

メニーは何でも口にする。思ったことをつらつらと。それが時に主人公を傷つけるときもあるし、救うときもある。

人との関わりとは傷つきながら救われながら築いていくものだろうが、ハンクはそれを拒絶していた。傷つきたくないから近づかない。それはもう、究極の選択だ。 

 

ラストでは自分が傷つくことも構わずに、自分を見守る人たちの前で屁をする。あんなに人前で屁はするもんじゃないと言ってたのに。メニーの前でも見せたことのない屁。逆に言えばメニーにも屁をするところを見せたことがないということは、ハンクがそれ程にメニーを人として扱っていたということが分かる。たかが屁、されど屁である。

しかしラストでハンクが屁をこくのは見守ってくれるみんなを人として扱っていないということが言いたいわけではない。屁をすることで自分が傷ついたり恥ずかしかったりすることを厭わなくなった、ということなのではないかと言いたい。ハンクの成長が屁で見えているのではないかと。

 

ハンクは不器用だ。ハンクの父親も不器用だ。自分の息子が死んだと聞くと(実際は死んでない)涙を流したり、息子が死体を抱えて森へ走っていけばご老体にムチを打ってあの険しい森を追いかけたり、息子に対する愛情はあったのだ。でもそれを表現できない。

ハンクは父親が自分のために涙を流すところを見て何を思ったのか。

 

メニーはまた海へとかえっていく。それが"帰る"なのか"還る"なのかは分からない。

メニーの正体もさっぱり分からない。でもそれがいい。全てがわかってしまうことほどつまらないことはないから。

 

下品で、笑えて、テンポも音楽も良くて、ほんのり泣けるいい映画だった。映画館で見ればよかったな。